水辺に暮らす


トンブリーの運河


 雨季の洪水直後の風景ではない。
 2月の乾いた風がこころよい季節のことである。


 周知のように、バンコクは、チャオプラヤー川によって東西がかぎられているが、主要な寺院やデパートや官庁やホテルはことごとく東にある。タイの現王朝、ラタナコーシン朝(1782年〜)が王都として発展させてきたものだ。しかしラーマ1世が王朝をおこす前に、川の西岸にたった一代のトンブリー王朝があった。王の名をタークシンと言った。
 タークシン王は、1767年にアユタヤ朝を滅ぼしたビルマを即刻撃破し、覇を唱えた。そしてタイを再統一したのみならず、ラオスやカンボジア方面にまで派兵し武勇をふるい、最期は精神が錯乱し部下だったチャクリ(後のラーマ1世)に処刑された、というなんともハゲしい一生を送った。トンブリーに都があったことわずかに15年。


 そんなわけで、川の西岸トンブリー地区は、近代の開発に遅れたいわゆる旧市街なのである。チャオプラヤー川をわたり、西岸では最も有名な河畔の
ワット・アルン から裏手にちょっとはずれると、もうひっそりしてしまう。あとはバンコク庶民の暮らしが息づいているばかりなのだ。


 バンコクそのものが、本来運河をはりめぐらせた水の街だが、トンブリー地区となるととりわけ水脈が人間の暮らしに深く分け入っている。ワット・アルンから車を20分も走らせれば、家々の間に水脈は湿地帯をつくって、高々とヤシの木々がそびえ、色の濃い花が咲き、緑に光る大きなトカゲが木の幹を走るさままで目にすることができる。あたりは静かで、空気もいい。あの市内の異常な渋滞と喧噪がうそのようなのだ。


 そうして水は人を家を町をむすぶ。近くには名の知れた早朝の水上マーケットがあるくらいだから、各戸は孤舟を所持しており、それでもって生活に必要な物資を積んでゆるゆると持ち帰ることができる。自動車のない時代、水運が人の生活にいかに便利であったか。力を水の浮力にあずけ、縦横に近道ができる。それが今も生きているわけだ。匂うような濁り水がひたひたと床下をあらい、大量の蚊を発生させるとか、雨季の長雨にはあたりはどんな凄まじいありさまになろうかとか、そんなマイナスを差し引いてもあまりある水辺の暮らしなのだ。


 いや、また思う、水はたしかにへだてにもなっているのだと。運河べりの小道を歩き、危うい板橋をわたり、また小道を行くが別の水路に突然はばまれ、さらに……足で地をゆく者には楽ではない町なのだ。
 すると……これもたしかに、日々、孤舟をあやつって水の上を行き来する人々は、歩くわれわれとはちがう。決定的になにかがちがう。



写真:タイ/バンコク〜トンブリー地区
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