道に巣喰う者


大久保の娼婦


 道はいつから、こんなにも人を疎外するようになってしまったのだろう。いまやそこは、歩くか、走ることくらいしかできない。やすむことも、ねることも、おどることもできず、ましてや小便まかりならず、雲古などもってのほか、すみつくことなど言語同断だ。「いい道」という表現があるが、じつは人は周囲の風景について言っている。もしくは「凸凹のない道」というだけのことだろう。道の表情はいつもこわばり、公権力を笠に着て、生き物に冷たく、それは近くて、ほんとうに遠い。そういう非情な道を見て見ぬふりしているわけは、人がそこを日々歩くか、走るかすることを、やめるわけにいかないからだろう。


 これはもう十年以上前のことだから、いまは知らないが、バンコクのパッポン通りのそばの道すじでのことだ。夕刻、銀行が閉店し、鉄の鎧戸がおろされると、決まって、その前の道に、中年の夫婦がテーブルと鍋をはこび、熱帯の雨期の豪奢なドブの香りのする夜のおとずれとともに、忽然としてそこにトムヤムクン屋ができあがるのだった。そして蒸した夜が明けるまで、パッポン通りからはきだされる、精液くさい人間どもの舌を、からくすっぱい美味がとろかし、シンハビールが浄化する。そばをネズミがはしり、クラクションや、罵声、嬌声がなびき、そしてバンコクの巨大で濃密な夜の空にみちた圧力音のようなものが、その道すじを小さくふるえ揺らしつづけているのだった。


 かたやシンガポールでは、路上の屋台という屋台を、ホーカーズと称して、政府指定の敷地にとじこめてしまった。おかげで街はこざっぱりとし、外資が入り、経済も伸びたが、道はタバコひとつおちていないたてまえの監獄のような場所になった。


 上海では、そして南京では、路傍で人の手によってハラワタを抜かれ、火で思う存分あぶられる
ハルピン犬 はもういない!


 十年前のホーチミンでは、夜、街灯のひとつもない暗闇の道ばたに、ねむる家族たちがたくさんいた。外国人がたむろするカフェがならぶ通りにも、小さなゴミ袋のような子供らがころがっていた。とりわけ忘れがたいのは両足がもげた匍匐前進する男だった。中年のその男は、おそらく地雷を踏んだかして、両足がふとももの付け根からなかった。片手にザルをもち、カフェがならぶ通りを縦横無尽に匍匐前進しながら物乞いしていた。道は男にとっての道──男の独壇場だった。土色の全身から異様な光芒をはなつ男を、だれもそこから追いやれるものはいなかった。たしかに道は、男を疎外してはいなかった。ほこりまみれの男の上腕は、その道が日々の営為から男にあたえた筋肉にはちきれそうだった。


 そこでわがニッポンの道──
 意外に思うかもしれないが、決して捨てたものではないのだ。裏道から裏道へ、月光の投げたまぼろしのように行き来する娼婦たちの影ばかりではない。その気になって、見ようとしさえすれば、やつらが見えてくる。夜更けから未明にかけて、天下の公道を臥床として
寝る者ら が。
 寝る者らの異様で、奔放な、浮かばれない、くるしげな孤独の影を見ていると、ニッポンの道の非情な性がひしひしと感じられる気がする。それでも、寝る者らは、ふだんの仕事も生活環境もそれぞれに、国の経済力とも関係なく、ほそぼそと生きつづけ、いなくなるということがない。かれらは帰る家があってもたまには道の上で寝る。どうにもならない業のようなものがそうさせるのだろうか。


ガード下の娼婦
写真上:大久保 裏通りの外国人娼婦
写真下:横浜 黄金町 ガード下の娼婦
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