満州の足

〜纏足考〜
ハルピン街角


1
《纏足の作り方》三歳ごろから、女子の足の親指以外の四指を、内にまげて縛り、常時小さな靴をはかせて成長を阻害する。七、八歳におよび、足裏を真ん中から強く二つに折って脱臼させる。そしてふたたび、堅固にこれを縛り、専用の布靴「弓鞋(きゅうあい)」をはかせたまま成人を待つ。その靴を「弓」の「鞋(くつ)」とよぶのは、脱臼した足の甲がやんわり弓なりになるからで、纏足は別名また「弓足」である。これに対し、天然の足を「天足」という。


 たしかに、以前に一度、台湾の老婆の纏足 の写真を見たが、しなびきったいびつなその足は、真ん中から内に折れ曲がって蝋のように固まり、脱臼させた痕はなお鮮やかで、接地部分はわれわれの爪先と踵を合わせた程度だ。纏足を「三寸金蓮」という呼び名があり、形が「蓮」に似るからというが、それはともかく、「三寸(約九センチ)」が理想の大きさだったのだろう。


 纏足などしていてはろくに動けない、働きずくめの農民の娘にはできない相談で、よってブルジョアの婦女子の証明となり、いい配偶者を見つけるためという理屈があるが、ブルジョアの証明はともかくとして、纏足の動きについてはぼくには勝手な異論があるのだ。


 魯迅の名作『故郷』に、かつて豆腐屋小町と呼ばれた纏足の「楊おばさん」が登場する。「私」の家族がなじみの故郷をあとにする話で、引越し荷造りのごたごたの中、楊おばさんは毎日顔を出し、品物を物色し、ついに犬じらしという調度をひっつかんで一目散に逃走する。そのくだりに言う。
「底の高い纏足の足で、よくも駈けられたと思うほど早かった」


 これを読んで、爪楊枝のような細い足で、中華民国の田舎の煤けた古い石畳を、疾走する楊おばさんの後ろ姿が、ぼくにはありあり浮かんできたものだった。勝手な「石畳」という連想からか、するはずもない纏足の骨を打つような足音まで聞こえる気がした。


 事実、われわれ人間の足は、歩行時には「蹠行」といって足裏全体を接地するが、走る場合は足先部分だけ、足全体の三分の一しか接地していないのだ。足の接地面積はスピードに比例する。これは走る動物を見ればなおさら明らかで、犬猫は「指行」という指先だけの着地であるし、馬にいたっては指まで退化し第三指が蹄として残るだけだ。あの馬の速く雄々しく走る巨体に比して、その足のなんと小さなこと! 実に馬は天然の纏足を持ち、人はそれに蹄鉄という纏足沓をあてがうのだ。ならば、人も。人は?


 纏足のたどたどしい歩行の、力の配分が、大腿部の筋肉を育て、その女性器を強力に鍛え上げたという説は、今や通論となった。なるほど常人の、踵から着地し、足裏で大地をなめ、爪先で蹴るという堅実な歩行にくらべたら、纏足歩行の不安定なたどたどしさは容易に想像される。だが、ひとたび、歩行が走行に移ったとき、纏足は威力を発揮する。それは「走行用」の足なのだ。一体、中国の男どもは、霊妙な女性器の動きに身も心もうばわれて、足そのものの価値に気づかなかったのだろうか。いや、気づいていたのかもしれない。ただ、《走行用纏足》の公認と実践は、女性の足と陰部とを切り離し、ひいては女性の独立解放闘争につながることを、諸子百家を生んだ中国のことだ、とっくの昔に気づいていたにちがいない。


 ぼくは楊おばさんの曾孫くらいの「楊小姐」が、長く美しい現代の纏足でフィールドを蹴って、オリンピック100米で世界記録を打ち立てる勇姿を想像する。楽に十秒は切るだろう。うまくすればそれ以上も?(世界最速のチーターは、その四つ足の細い爪先で、100米を三秒半だ!)。なぜ中国はそうしないのだろう。たとえアメリカと断絶しても。オリンピック規約に、ステロイド剤と並んで、《纏足》が禁じられていると聞いたことはないのだが……


ハルピン中央大街




2
 ところで、北京から出て、瀋陽、ハルピンという満州の大都市で、ぼくは女たちの足を仔細に観察してみたが、ついに纏足の痕跡をそこにみとめることはできなかった。纏足は元来漢民族の習慣だということは知っている。しかし満州人の政権清朝でも、名君康熙帝や乾隆帝が禁止令を出しているくらい、それはこの地でも十分流行していたらしいのだ。またもちろん、戦後その風習が完全に途絶えたことも知っているが……だが、冗談ではないのだ。


 ここが白髪三千丈の国であることを忘れちやいけない。そもそも纏足は、唐代のあと五代(九〇七から九七九年)に始まり、以後十世紀の間、中国の女たちの足をゆがめつづけた道理である。十世紀の間……ある推定では、纏足の女たちの総数は、その間じつに三十億にのぼるという。


 30億人の女たち! 60億本の纏足!


 一体、習慣は遭伝子に組み込まれるということくらい、誰だって知っている。日本人の、地べたに座する不活発な長年の習慣が、サバンナを駆けめぐるアフリカンの足とどう違う足をもたらしたかは、たった今、ズボンを下ろし、スカートをめくりあげてみるだけでよい。ではなぜ、この《纏足》については、三十億というめまいのしそうな物量の意味する習慣の下、遺伝子レベルに浸透しなかったのか? すなわち「生まれついての纏足」という奇跡が、なぜに全く起こらなかったのか? 異常な記述癖の中国人も、これだけは書きもらしているとでもいうのだろうか?


  奴隷たちの子孫は代々
  背骨がまがってうまれてくる。
  やつらはいふ。
  『四足で生れてもしかたがなかった』と(金子光晴)


 とくに纏足については、十世紀で三十億人ではまだ不足なのかもしれないし、纏足が夫婦交合において、女の側だけというのも引っかかる。だがどうやら、適者生存の原理からすれば、纏足には相応の進化圧が働かなかったことが何よりの原因のようだ。たとえば馬が、足の指の四本を失い、第三指だけが強固な蹄と変じたのは、その方が速く走り生きるのに好都合(適者)だという《進化圧》が働いたからだ。十分な進化圧に因れば、どんな奇怪な形態も可能だということは、動植物の生体図鑑をちょっとめくってみれば明らかだろう。むろん「十世紀」は進化には短すぎる。しかし、期待は持てたはずなのだ。


 結局のところ、纏足がひたすら女陰の引締めのためにだけ援用されて、その優れた独自の価値を見出されなかったことに尽きるのだ。少女期の脱臼の後、足の甲の筋肉そのものを鍛錬し、《走行用纏足》を案出することが、人体に新たな進化圧として働く可能性はなかったのか。つまりは男どもの助平根性が、宦官をオカマにする程度にも満たず、女たちの畸形を三十億つくり続けたに過ぎなかったのだろうか。


 そこで満州の女たちの足。
 三十億人の先祖を持つ六十億本の足の子孫。


 彼女らの足が、眩しく、匂いやかに、大気に触れて、喜びに満ち、こんなにもけしからず溌刺と街を闊歩するのは──それらがばかに新鮮で、真・善・美みたいな健康をぷんぷん発散してやまないのは──灰色の人民服の下からつい最近それらが姿をあらわしたからではなかった。
 彼女らの祖母や曾祖母やそのまた祖母が、いくら纏足をしたって、そのいびつな皮の下からやっぱりはち切れんばかりの真っ直ぐな足が現われてしまうのだ。まるで《天足》という種が、《纏足》という種を、ついに駆逐して絶滅に追い込んだというように、ほんとうに生命の勝利を楽しく謳うように、満州の大地を、女たちの物凄い足が歩いていた。


北京 裏通り
写真上:ハルピン市街角
写真中:ハルピン市 中央大街
写真下:北京市裏通り
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