国境という名の反国家


カンボジア タイ国境


 宇宙飛行士は、たかだか地上300キロから地球を見下ろし、「地球には国境線がありません」などとばかなことを言って、国境というものの存在にいっぱし異議を唱えたつもりでいる。


 しかし、世界国家が夢のまた夢である以上、国境という線引きはなにかものすごく本能的なものだし、しかも実は国家ひとつひとつの内実よりも、国境にこそものの本質があると言いたいくらいだ。


 そこでは、物資の移動と同時に、常に人間の移動があり、その肩には欲とか、野心とか、家族とか、熱情とか、挫折とか、愛憎とか、服従とか、反逆とか、神とか、野菜とか、鶏とか、ヤシの実とか、ドリアンとか、マリファナとか ……が重たく背負わされており、そしてきびしい官吏の目にさらされて、いつも空気はぴりぴり張りつめている。


 しかも国境らしい国境であれば、その官吏の検閲の物差しは、多分に「気まぐれ」ということなのだ。じつに気まぐれによって、善人も封じこめられるし、悪人も大手を振ってまかり通ることができる。難癖や誉めたたえや時には金品の無心が、不条理劇そのままにくりひろげられる。


 また国境は、たいへん雑種性ゆたかな国際交流の現場だ。たいてい二つ以上の言語と、二つ以上の貨幣が、国の政策と関係なく、ごく当り前に流通しているし、仲のよい二国家が橋を架けたりして友情を確認し合い、仲が悪くなったとたんにその同じ橋を爆破し、突如バトル・フィールドを具現して、たがいの血を混ぜ合わせたりするのもここだ。


 だからA国とB国の国境は、A国でもB国でもない別の「どこか」なのだ。国境という特殊な世界は、案外国家的ではない。単に国家と国家との境界線などというものでは断じてない。なまなましい休むことを知らないニンゲンの動きがつくりあげた、日常の眠りから常に覚めつづけてヒリヒリと痛む時空……


 国境は乾かぬ傷口だ。



写真:カンボジア〜タイ国境

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