旅に出ると、私がまず思うことは、こんな面倒臭いことは一日でも早く終わりにしたいという一念で、さっそく帰る日を心待ちにしてしまうのだ。
とはいえ、日本にいたところで、同じくらい毎日は面倒にちがいないので、故国望郷の思いなど起こりようもないが、それだけに、向こうとこちらのけじめというものが、何ともあやふやなのである。
一体、旅を心置きなく楽しめる人たちは、故国やそこでの毎日をいったん使用停止にできる、心すこやかないい人たちに決まっている、本気で私はそう思う。
そこにけじめを持てない私のようなものは、つまり旅することのできない種族であり、逆に言えば毎日近所の商店街にも旅行に出てしまうだらしなさなのである。
楽しいと同時にいやいやながら、アジアに通いはじめて早や十数年になる。
けじめのない私の旅は、ついにA国の裏路地とB国のチャイナタウンを結びつけ、C国のダウンタウンの突き当たりには東京下町の私の住処を現出させた。少なくともどこか狂気じみてくるのは否定しようがないのだ。
私と同じ汚い顔をしたアジアの人々とアジアの国々。
逃れようとするほど私は入っていくし、入ったつもりが飛び出してしまう、《死》以外に抜け道のない、そういう断然潔癖な迷路の中で、『脱亞入亞』とはつづってみた夢うつつの実感のことだ。